ロダン講④

 あきずに来てくださってる2名の男性利用者さんがいる。仮名で菊養老さんと寅吉さんと名付けよう。

お二人とも、一本筋の通った立派な日本男児である。

 

業種は違えど、現役時代は叩き上げで出世し高い名誉とステイタスを持っておられた。人の上に立って仕事をしてこられた方達だ。

 

決して他人のことを悪く言わず、決してでしゃばらず、周囲に気遣い、ご自分の人生に対して凛とした姿勢で生きてこられたのがよくわかる深いお二人である。

 

 

 

お二人には共通点がある。

 

 

人目につかない影の努力を見逃さず、労をねぎらう。スタッフの中で利用者さんの目につかないところで仕事をしている人達のことを常に見逃さず、その労をねぎらってくださる。

 

 

 

そして、もう一点はあきずの将来を心配し、状況を静観し、そして時折アドバイスをくださる。本当に暖かい助言なのだ。

 

 

貢献するつもりの利用者さんに、いつの間にか貢献されている。

 

 

 

 

 

僕は知的障がい者福祉の業界で12年間働いていた。知的障がいとは、先天性の脳の器質性障害からくる知能にハンディキャップをもつ障がいである。

 

その方々が生活する入所施設に勤務したての頃、僕は燃えていた。若かったし、やる気もあった。この人達に関わって、なんとかこの人たちをよくしようと躍起になっていた。

 

 

でもうまくいかない。全くうまくいかなかった。僕のやる気に反発するように利用者の方々は僕を拒絶する。そして、その拒絶に対して僕はバカなことに、更に果敢に立ち向かっていた。

 

 

空回りを続けること、数か月。自分でも息が上がっているのを自覚できるようになった頃だ。忘れもしない初夏の頃だ。

 

 

朝礼を終えた僕の横に、庭掃除をしていた施設長が歩み寄ってきた。

 

 

この施設長は僕を育ててくださった人生の恩人である。仮に治ちゃんと名づけよう。

 

 

庭を見ながら、治ちゃんは僕に『刃物と砥石』の話をしてくれた。

 

 

「砥石」とは、刃物を研ぐときの石のことである。

 

 

治ちゃん:「刃物を磨くときに砥石を使うやろ。刃物は砥石によって磨かれて、役に立つ素晴らし

      ものになる。

      この世界に入ってくる人達は、最初自分が砥石であって、障がいを持ってる利用者さ         

      んが刃物と思ってるんや。自分がこの人達を磨きあげようと思って仕事するんや。

      でもな、わしはこの世界に数十年いてるけど、本当は逆やと思うねんなぁ。

      磨かれてるのは、わしらの方やと思うんや。変わらない利用者さんに接することによ

      って人の真意を考えるようになり、相手の立場を理解するよう努力するようになり、

      人間として多くのことを学び、美しい刃物になるのは自分の方やと日々感じるんや

      わ。」

 

 

全身の力が抜けていったのを今でも鮮明に覚えている。

 

 

 

貢献しようと思って携わっている利用者さんに貢献され、そして美しい刃物にしてもらっている幸せを感じるたびに「よっしゃぁ!明日も一発頑張ろう!!!」と思うのである。