社長のロダン講~その8~

ガンジス河の夜明け
ガンジス河の夜明け

先日、利用者さんの送迎が終わり、事業所に向かって車を走らせていた時のことでした。山之上の住宅街を通り抜ける時、前方の歩道を男性が僕に背を向けた格好で歩いていたのです。

何気なく通り過ぎるその時に、視線の端にその男性の顔が見えたのです。

 

「うぅ・・・ん。」

 

どこかで見たことがある・・・。私の首は車の進行方向とは逆に、ぐるんと回転し、斎藤さんよりも禿げ上がった、いや、正確に言うと小鳥についばまれたような頭皮丸出しの額の男の顔を凝視したのです。

 

「Sだっ!」 

 

車を側道に停めつつ、20年ぶりに見る大学時代の友人を思い出したのです。そう、額は爆撃を受けた後の残骸みたいになってるけど、あれは、あの額を除いた顔のパーツはSに違いない!車を降り、駆け寄ると逆光眩しいSも私に気付き、硬い握手。そして呑みに行くことになったのです。

 

20年の歳月は、2人から頭髪を奪い、その代わりに家族を与えました。20年の年月の経過をお互い報告し、驚き、喜び、共感し、感嘆し合い、酒を酌み交わしました。満貫振って殴り合いの喧嘩をしていた大学生のSは、立派なエグゼクティブになっていたのです。

 

そして、話はSが在学時代に3ヶ月をかけて放浪したインドの話になりました。私自身も昨年の2月に初めてインドに渡航し、激しい発熱と下痢と盗難にあい、散々な印象を今もリアルに感じていた最中だったので、食入るようにSの旅行記を聞いたのです。

 

バックパックを担いで旅立ったSのインド旅行も散々な経験の連続だったとのこと。詐欺やホテルでの保険金目当ての下剤混入等、心が病んでしまうような事態の連続で、人間不信に陥ったSは一旦ネパールへ越境。ネパール人の優しさと雄大なヒマラヤ山脈に癒され、3ヶ月を締めくくる最終目的地をインドのコルカタに決めたそうです。

 

そしてコルカタの最貧地区のスラムに向かいます。この頃のSは、ほぼ3ヶ月をインドで過ごしていたため、そんじょそこらのインド人には負けないメンタルを獲得していたそうですが、そのSをしてもこのスラムの荒廃は凄まじく、今まで見たインドのどの都市よりも壮絶であり、凄惨な状況に恐怖を感じ、常にナイフを手にもって移動していたそうです。

貧しい、あまりに貧しい。かつての日本でも存在した見世物小屋がいまだ存在し、お金を稼ぐ方法として親から手足を切り落とされた子供が恵み銭をもらっていたそうです。

 

そんな目を背けたくなるような貧民区の最奥に、Sがコルカタを目指した理由であるマザーテレサがおり、Sは間近で彼女に接したそうです。彼女の生歴から計算すると、彼女の亡年かその前の年になる計算です。

ノーベル平和賞まで受賞した彼女が自分の死の臨機にあっても、壮絶な環境のフィールドに身を置き続けた姿に感銘を受け、深く感じ入ったそうです。

 

『現場主義』・・・マザーテレサの活動は救貧と布教のみならず、全世界的な人権啓蒙活動へと進展していったのだが、終生を通して現場に身を置き、そこから数多くのメッセージを発信し続けた、その姿勢に私人身も学ばなければいけないことがあると感じました。

 

詩人の谷川俊太郎氏はブリコラージュの中で

『現場をもっていることの強み。地に足がついている。言葉とか観念とか、他の場所から発生していなくて、これをどうやって言葉にすればいいか、というところから出てくる。観念操作に陥っていないのである。』と現場主義の効用を語っている。

 

とかく、計画やスケジュールを決める時、この観念操作に陥りそうになる自分を客観的に発見できた。声を聴き、顔を見ながら考えていこう。

 

チェケラッチョ・ハゲラッチョ♪